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2007年11月24日

中島らもの生涯

波乱万丈に生きた大変すばらしい方でした。

灘高校時代の同級生・村上健がかねてつ食品(現・カネテツデリカフーズ)の常務に就いていた(現在は代表取締役社長)のが縁で、1982年、雑誌『宝島』に同社の広告として『啓蒙かまぼこ新聞』を企画。翌1983年の『微笑家族』(『プレイガイドジャーナル』掲載)と合わせて、広告に不信感を持つ層を敢えてターゲットとし、スポンサーと読者=消費者が一緒になって広告上で遊ぶ事を通じてスポンサーに関心を持ってもらうという独特の方法で注目を浴びる。鉄骨住宅の宣伝のコピーに「家は焼けても柱は残る」というキャッチコピーを作り、没となったが、後に中島がテレビ出演する際に時々語られた隠れた名(迷)作。

コピーライターや小説、エッセイなど本格的な執筆活動に入る前に、マンガ家や音楽の道を目指したこともあり、月刊漫画ガロに原稿を持ち込むも「作品が長すぎる」と掲載を見送られて、根気が折れて挫折している。音楽についてはレコーディング寸前までいったが、レコーディングの費用を女に騙し取られて頓挫。

1984年から朝日新聞で連載が始まった、独特のユーモアを交えた人生相談コーナー『明るい悩み相談室』で人気が全国区となり、1987年、フリーとなってから作家活動を本格化。戯曲、エッセイ、小説、落語、バラエティ番組の脚本などを執筆。

1992年、自身のアルコール依存症体験を綴った『今夜、すべてのバーで』で、第13回吉川英治文学新人賞を受賞。1994年、『ガダラの豚』で第47回日本推理作家協会賞長編賞を受賞。『人体模型の夜』『ガダラの豚』『永遠(とわ)も半ばを過ぎて』の3作で直木賞の候補になった。


引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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